泣きたいような空 [◇life]
哀しいことがあったというでもなく。
薄いオレンジの光と少しくぐもったブルーの縞々の空。
しばらく見とれ・・・あまりに、わたしたちはそこの中にすっぽりと包まれているんだなぁ、と感じられて。
懐かしいような、泣きたいような気持ちになった。
嗚呼、わたしたちはどうして生きているんだろう。
1000こ目の記事! [◇life]
記念すべき1000個目の記事!
そのあいだに、自分も随分と変わった。
夏頃、ホームページのリニューアルを考えている。
いっしょにブログもお引越しするかもしれません。
今日は、12時間、眠ってしまった。
きづいたら眠りに落ちていて・・・やることあったのに!!・・・と思ったけど、
このところ、思考の絡みあったものが
目が覚めたら解(ほど)けていた。
きっと、必要があって、眠りに落ちたのだ。
郷里の友人が、一日8時間は眠る、という話をこの前していて。
どうやったらそんな生活ができるんだろう!?と思っていたけれど。
ごはん食べなかったりしたらできるんだと思った(笑)。ちがう・・・??
そんなわけで1000個の記事。
いままで、読んでいてくれた方、どうもありがとうございます。その見守っていてくださる愛情に感謝しています。
ストレスの無きこと。 [◇life]
今日参加させて頂いた集まりで、流れで、足もみをして頂いた。いくつかの部分を除いて、柔らかい足だ~、という感想を頂く。「ストレスないもんねー?」との言葉をもらった。
はて? と一瞬立ちどまるも、うん、そうかも。と。
雨風をしのげて、毎日のごはんが好きなもの食べられてること。そのことでまずもって、基本的に、感謝なのだ。
ほかに、よい方たちに恵まれていること。
時間が比較的自由にお仕事ほかできていること。徹夜をすることがあっても、自分が選んだ道のことであると受け留めることだったり、好きなことをお仕事にしていく途上のことと前向きで嬉しくいられたり。
からだの調子が悪いとき(なるべく事前に調整するから、そんなにはないけど。)も、いずれ治るのだ、とあっけらかんとしていられること。正直恋愛で悩むこともなかったり。
あとは、他人と比べることが、どんどんとなくなってきた。わたしはわたしの道を行けばいいんだ。わたしのまま。わたしらしく。
だからかな~。
風邪ひきさんの飲みもの [◇life]
檸檬をまるごと、いっこ。
はちみつ、たら~り。
お湯を、たっぷり。
自家製はちみつレモンのできあがり。
今年もありがとうございました☆ [◇life]
自分にとっての、あと数時間で過ぎ去ろうとしている今年のテーマをコンパクトに纏めると、”浄化とVisionを描くこと”だったのじゃないかな。
おおざっぱにまとめると・・・意識とか魂とかにアクセスする機会が増えました☆
フロリダまで意識の探求に行き、それを契機に東京へ戻る=”新しくゆく”ことを決め、実際に移動。
客観的に立ち止まって振り返る余裕は、正直今もないのですが。ただ、慌しいという感じは心にはありません。毎日変化があり、前を向くことができている。
この命のあることに、毎日感謝して生きている。
ということに、幸せ以上のなにがあるでしょうか。生きられてることが凄いことなんだな、ってほんとうにそう思います。
ということで、感謝で一年を締めくくりたいと思います。
出会えた方、出会えなかった方、見えない力や想ってくださってる方々の想いなどすべてに、ありがとうございました☆
来年も、この生を大切に、生きてゆこうと想います。
束の間の永遠 [◇life]
小さなロータスのキャンドルを、アイスクリームカップに浮かべて・・・
やっぱり、アジアの器と水に浮かぶキャンドルはよく合いますねぇ。
この部屋に来てから、キャンドルを灯して電気を落とすのはぜんぶ部屋が落ち着いてから・・・と思って、ガマンをしていたのだけど。
なんか、自分の調整に、どうしても暗闇(薄暗がり??)が必要で、ばばばっといろんなキャンドルに火を灯してみた。やっぱり落ち着く。
たぶん・・・視覚からの情報をシャットアウトすることと、蝋燭のほのおの揺らぎと、火と闇の程よいコントラストが、自分を日頃の雑事?雑念?から開放してくれるような気がする。その中にいる間は、時間は永遠・・・、のような、気分になる。ふっと心が、日常のことから離れて、軽くなる。
・・・ちなみに、なぜか今のお部屋は蛍光灯のほかに、調光できる白熱球が数個天井についているのだけど。それを調整すると、割とムーディな光とか創りやすいんだけど、、夜中に頭が働き過ぎな時とか、それでも知らずにストレスになってたみたいで・・・やっぱり”炎”そのものとは違うのだと気付かされました。
実は、昨日小説がどうしても読みたくなって、吉本ばななさんの本を数冊買ってきた。その中の一冊、『マリカのソファー』というバリ島が舞台の小説を昨夜に読んだのだ。
その影響も多分にある、ような気がする。。
読んだ本の影響って、数日後に出たりしませんか・・・?
食べ物だけじゃなくて、頭もそうやって栄養摂取してるんだな~って思ったりします。
帰省・ゴーヤ・墓地・宇宙の片鱗 [◇life]
ひさびさの日記になってしまいました。
8/12~16まで帰省@前橋。まずはうちの庭の花。
16日は、東京銀座にて、お友達の小早川ひとみ嬢が出しているマトリョーシカ展を観に。乙女でピュアで可愛かった。ほかの方のは、空とかちょっとシュールな感じのものから、オヤジマトまで幅広く出展者の方々の個性豊かなマトリョーシカが観れて面白かったです。グループ展で、個性バラバラだと面白いな~と思った。マトリョーシカの概念を覆す(笑い)!!って作品がたくさんあって発想が素晴らしかった~☆
天然の日除け◎ゴーヤ&ヘチマ棚。この写真じゃ小さくてわからないけど、実家の庭ながらこれも素敵なアイデアと思った。綺麗だし、部屋の中から光に透けた葉を見たら癒されるし、涼しくなるしと機能も○。
お墓参りに嶺公園という山の方の公園へ。公園の一角が墓地になってるので、脇に遊歩道がありました。木陰で風を受けるとめっちゃ気持ちいい♪ この感じ、伝わるかな~~
空と墓地・・・わかりますか?? とてもいい場所でした☆
庭の一角。そこまで大きくなくても、鬱蒼とした緑。そういうものって生命力を感じます。
平地に降りて・・・庭の一角の母のアトリエ。プレス機です。小さい頃からこんなん見て育ってるから普通やけど、ふつうに見たら若干珍しいものかも?ひとつの作品にものすっっごく時間をかける人なので、わたしにはない粘り強さだと思います。作品制作のスタイルはそれぞれですよね。ほんと。
作品ちゃん♪
実は背景の色とかまた変えだしちゃってるんだけど・・・(笑)。でも真ん中はもうあんまり変えない。
キャンバスが小さいので、小さいのだけど。
遍く愛が宇宙に存在してて、それは全てのものに降り注いでいて、わたしたちはその片鱗を世界のさまざまなコトやモノから受け取って、自分の中で成熟させて生きているんだ、という絵。
この絵はちっちゃいけど・・・
わたしが描いているのは、megumi的世界観なんだな~ と制作しながら気付いた。気付かされた。やっと見えてきた感じだけど、そこがますますできていったら、ますます作品もできていくんだろうな~と。わたしから産み出されるってことは、わたしの一部だから。で、わたしは宇宙の一部だから、やっぱり作品も宇宙のエネルギーのひとつの片鱗・・・てこと、かな。
歯と髪 [◇life]
先日、久しぶりに歯医者に行った。
歯医者の想い出というと・・・「はい、治療しますよ~」
と言われて、わたしの意志を聞くまでもなく
が~っと削られてしまう・・・ような印象しかなくて。
どうも恐怖感があってなかなか行けなかったのだけど。
近所に新しくできた歯医者さんに行ってみたら
比較的若い先生で、丁寧に説明&質問にもよく答えてくれた。
値段とかも明朗会計な感じ。
そのことを歯医者さんの娘さん(といってもわたしよりお姉様ですが)である知り合いの方
にお話したところ、最近の歯医者さんはそうなのだそうです。
インフォームド・コンセントの流れなのか・・・。
年配の歯医者さんの中には、違うひといるみたいだけど。
そうやって、自分で決められる、理解る、ような環境が
つくられてくって、いいことですね~☆
やっぱり、自分で納得して決めてやった(と思える)ことでないと
その結果(責任)も引き受けにくい、よね。歯の話に限らないけど。
あと、ひさしぶりに行ったんだけど、
想ったほど悪くなってもいなくて。
「恐怖」って、自分が創り出してるものなんだな~
って改めて実感してしまった。
すごく怖い怖い思ってたものが、実はそんなことも
なかった、ってこと、ありますよね。
あ、そうそう。
で、歯と髪。
歯は、基本再生できないものだと思うのだけど・・・
この前、これまたひさ~しぶりに美容院に行き
髪の毛は生きているのか
という話をしてきました。神経があったら痛いよね~。
ないからいろいろできるんだよね。などなど話して。
結局、わたしの尊敬するその美容師さんの結論としては
”髪の毛は生きているんや”ってことだったのですが。
歯もさ、固体のようでいて、歯茎の血流や唾液の質などから
影響を受けているわけで。
わたしは髪の毛より生き物だと思うのだけど。
早く、自分の細胞から再生、とかできるように
なってくれると治療の面ではいいんだけどね~…とか
よく思うけど、また思ってしまいました。
・・・わたしがおばあさんの域に達するまでに
開発されるだろうか、そんな技術。。
あ、まとまりなくてすみません。
なんでそのふたつを書いたんだろう。。と今考えたら、
たぶん、生物と無生物の境界とは、ってことを
書きたかったような気がします。
そのあいまいなところ。
あいまいだけど、存在しているところ・・・。
大人の時間割 [◇life]
気づけば、今、学んでいることが多い。
こと、というのは、瞬間が、とかそういう意味でなく。実際に講座に通っているものが、気づけば多い。
「トリ・スクール」というアートの観方(歴史や様々な切り口、作家などを知る)の講座、voice training、ジル(フィンガーシンバル)の講座、音楽の初級理論(譜面の読み方、記号、音階についてなど)。ま、ベリーダンスはもとより。
加えて、定期的ではないが、他にYOGAやボディワーク、美容、心理(意識について)なども入る。
目的ありきという意識よりも、組み上がってゆくのが楽しい。というような感覚。
例えば、歌の練習で、リズムのところ、休符の意味がよくわからなかったりして。昔音楽の授業で習ってたのかもしれないんだけれど・・・。その辺はっきりさせたいために(=歌うときの意識をクリアにするため)、初級理論の講座を受ける。
で、今日は参加したジルの講座で、参加者の方から、中東のリズムパターンを音符を使って表したプリントを頂く。これ、欲しかった~☆ → そして、習った(改めて認識した?)ばかりの休符、使われてるので意味がよくわかる。 → 3月にベリーダンサーのHadiaさんのリズムの講座で習ったパターンが、より明確にわかる。
繋がった~♪という感じ で、嬉しくなる。最終的には、理解と認識が深まり、演奏なり踊りなりがし易くなる、というのが学ぶときに焦点を当ててるところだけど、こうやって、学んだことが相互に繋がって役に立つ、というのは、なんか、嬉しくなります。
この目的だから、こう、とがっちり考えてつくってるわけじゃなくて、感覚的・直観的に選んで決めてるけど、空いてる時間にこれを入れて、これを入れて、これをやっておけば将来きっとこういう具合に繋がるぞ、みたいなイメージをなんとなく持って組んでいく。
その作業って、自分なりの時間割をつくっている作業なんだな☆って感じる。
むかしは、大人(もしくは法律とか)によって用意されたものを、なぞっていて自分の時間が作られてた。今は、自分がこうしたい、という感覚に基づいて、自分で決めて、自分の時間割=自分の人生を創っていってる。それがこどものときと今の違いなんだな~と思う。